LaVagueジュエリースクール
インディアンモチーフの意味と歴史を知る|ラヴァーグジュエリースクール【東京・渋谷区・恵比寿】

インディアンモチーフの意味

インディアン達が大切にしているモチーフの意味

力強く、芯の強いインディアン達
彼らが大切に受け継いできたスピリットを改めて見つめなおしました。

インディアン達が受け継ぐモチーフの意味

力強く、芯の強いインディアン達
彼らが大切に受け継いできたスピリットを
改めて見つめなおしました。

【インディアンの歴史を知る】

 
 
 
インディアンとは、アメリカ大陸の先住民を指し、直訳すると「インド人」となります。
語源はクリストファー・コロンブスが1492年に黄金と奴隷を求めてインドを目指して航海し、辿り着いた陸地(サン・サルバドル島 (現キューバ付近の島))がインド周辺の島々であると誤認し、そこにいた原住民達をインディアンと呼んだことから始まりました。
 
現代では、インディアンは誤認だったことから「ネイティブアメリカン」の呼称の方が正しいのでは?という動きがありますが、本人たちがインディアンという呼び方を好んでいるらしいことから、そのままインディアンと呼ばれている説もあります。
 
 
話は戻り、コロンブス達が大陸に到達の際、インディアン達は彼らを歓待します。
水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍などの沢山の自分たちの大切な文化を表すものを差し出し、コロンブス側もガラスやビーズ、鷹の鈴などと交換をしました。
 
ただ、コロンブスはここに黄金があるかが重要であり、また原住民との交友は目的としておらず、奴隷として使えるかどうかという判断でしか彼らを見ることはありませんでした。当時のコロンブスの言葉でこう記されています。
 
 
「彼らは武器を持たないばかりか、それを知らない。私が彼らに刀をみせたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らは良い身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷となるだろう。
 
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。
彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」-(引用 Wiki pedia  =A People's History of the United States)
 
 
 
この後、本格的に白人によるインディアンの弾圧・大虐殺が始まります。インディアン達に人権はなく、人とみなされずに家畜や奴隷として辛く悲しい時代を長く強いられます。
もし、コロンブス達の目的がもっと違うものであれば。調べていくたびに出てくるインディアン達の悲しく残酷な運命を知るとき、常にそういった気持ちがどうしても湧き上がってきてしまいます。
 
 
インディアン達の文明や知識は、ヨーロッパ人たちに比べあまりに差がありすぎました。
彼らに戦術は日本でいう縄文時代。白人達の弾圧は一方的に行われていきます。数十万といたサン・サルバドル島のインディアン達は、たった10年で滅ぼされてしまいます。
 
コロンブスの言葉にもあった通り、インディアン達にとって物や土地を所有するという概念はありませんでした。
土地は空や水、空気と同じように部族のすべての人に平等なモノであり、それは土地だけにかかわらず地球そのものは未来の子供たちから借りているものという考えでした。
 
白人たちはそれを知りながらなのか、土地を所有する・契約という概念のないインディアン達に対して不当な契約を結んでいきます。
インディアン達に白人はナイフや銃、鉄の道具や織物などをもたらし、彼らの今までの生活により快適さを与えました。
ただ、それらを交換するものとしてインディアン達に求めたものが土地や毛皮だったのです。中でも、毛皮取引商人が持ち込んだウイスキーなどのアルコールはインディアン達を破滅へといざないます。
少量のウイスキー欲しさに毛皮や土地をタダ同然に差し出し、字の読めないインディアンに白人たちは契約書にサインをさせます。もちろんインディアン達には何が何なのかよくわからない状況で、紙に印を付ければウイスキーや便利な道具をもらえると思い、サインを続けてしまいます。今までの生活の知恵やリズムは乱されていき、白人への依存は抜きにくいものへとなってしまいました。
 
そうやって、アメリカ大陸へとイギリス入植者の数が急増し(特に、イギリス本土では手に負えないような犯罪者達が追い出されるようにアメリカ大陸へと送り込まれるため、非人道的な犯罪はなんの罪悪感なく行われていきます。)じわじわと土地や資源を奪われ、抵抗するも虐殺が繰り返され、次第にインディアン達は西へ西へと追いやられていきます。
 
 
ここで、改めて説明を入れておくと「インディアン」と一括りに呼ばれていますが、コロンブスが発見するはるか前の紀元前12,000年頃からアメリカ大陸で生活を送ってきたため、それぞれ多くの部族に分かれ、文化形態や社会様式が違っていました。
南北アメリカ大陸には7,500万人のインディアンが暮らしていたともいわれ、約2,000もの独自の言語を持っていたといわれています。
 
有名な部族として、今日でも耳にするのはホピ族・ナバホ族などではないでしょうか? 
 

 
インディアン

 
 
ティピー

 
 

 

【インディアンの歴史を知る】

 

インディアン

 
インディアンとは、アメリカ大陸の先住民を指し、直訳すると「インド人」となります。
語源はクリストファー・コロンブスが1492年に黄金と奴隷を求めてインドを目指して航海し、辿り着いた陸地(サン・サルバドル島 (現キューバ付近の島))がインド周辺の島々であると誤認し、そこにいた原住民達をインディアンと呼んだことから始まりました。
 
現代では、インディアンは誤認だったことから「ネイティブアメリカン」の呼称の方が正しいのでは?という動きがありますが、本人たちがインディアンという呼び方を好んでいるらしいことから、そのままインディアンと呼ばれている説もあります。
 
 
話は戻り、コロンブス達が大陸に到達の際、インディアン達は彼らを歓待します。
水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍などの沢山の自分たちの大切な文化を表すものを差し出し、コロンブス側もガラスやビーズ、鷹の鈴などと交換をしました。
 
ただ、コロンブスはここに黄金があるかが重要であり、また原住民との交友は目的としておらず、奴隷として使えるかどうかという判断でしか彼らを見ることはありませんでした。当時のコロンブスの言葉でこう記されています。
 
 
「彼らは武器を持たないばかりか、それを知らない。私が彼らに刀をみせたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。彼らは良い身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷となるだろう。
 
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。
彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」-(引用 Wiki pedia  =A People's History of the United States)
 
 
 
この後、本格的に白人によるインディアンの弾圧・大虐殺が始まります。インディアン達に人権はなく、人とみなされずに家畜や奴隷として辛く悲しい時代を長く強いられます。
もし、コロンブス達の目的がもっと違うものであれば。調べていくたびに出てくるインディアン達の悲しく残酷な運命を知るとき、常にそういった気持ちがどうしても湧き上がってきてしまいます。
 
 
インディアン達の文明や知識は、ヨーロッパ人たちに比べあまりに差がありすぎました。
彼らに戦術は日本でいう縄文時代。白人達の弾圧は一方的に行われていきます。数十万といたサン・サルバドル島のインディアン達は、たった10年で滅ぼされてしまいます。
 
コロンブスの言葉にもあった通り、インディアン達にとって物や土地を所有するという概念はありませんでした。
土地は空や水、空気と同じように部族のすべての人に平等なモノであり、それは土地だけにかかわらず地球そのものは未来の子供たちから借りているものという考えでした。
 

ティピー

 
白人たちはそれを知りながらなのか、土地を所有する・契約という概念のないインディアン達に対して不当な契約を結んでいきます。
インディアン達に白人はナイフや銃、鉄の道具や織物などをもたらし、彼らの今までの生活により快適さを与えました。
ただ、それらを交換するものとしてインディアン達に求めたものが土地や毛皮だったのです。中でも、毛皮取引商人が持ち込んだウイスキーなどのアルコールはインディアン達を破滅へといざないます。
少量のウイスキー欲しさに毛皮や土地をタダ同然に差し出し、字の読めないインディアンに白人たちは契約書にサインをさせます。もちろんインディアン達には何が何なのかよくわからない状況で、紙に印を付ければウイスキーや便利な道具をもらえると思い、サインを続けてしまいます。今までの生活の知恵やリズムは乱されていき、白人への依存は抜きにくいものへとなってしまいました。
 
そうやって、アメリカ大陸へとイギリス入植者の数が急増し(特に、イギリス本土では手に負えないような犯罪者達が追い出されるようにアメリカ大陸へと送り込まれるため、非人道的な犯罪はなんの罪悪感なく行われていきます。)じわじわと土地や資源を奪われ、抵抗するも虐殺が繰り返され、次第にインディアン達は西へ西へと追いやられていきます。
 
 
ここで、改めて説明を入れておくと「インディアン」と一括りに呼ばれていますが、コロンブスが発見するはるか前の紀元前12,000年頃からアメリカ大陸で生活を送ってきたため、それぞれ多くの部族に分かれ、文化形態や社会様式が違っていました。
南北アメリカ大陸には7,500万人のインディアンが暮らしていたともいわれ、約2,000もの独自の言語を持っていたといわれています。
 
有名な部族として、今日でも耳にするのはホピ族・ナバホ族などではないでしょうか? 
 

 


 
西アメリカ

 
 
 
グランドキャニオン

 
 
 
イーグル

 
 
 
熔解

【インディアンジュエリー誕生まで】

 
コロンブスのアメリカ大陸到着から、長い年月をかけて虐げられてきたインディアンの中に、ナバホ族という部族がいました。彼らの悲しい歴史の中から生まれたのがインディアンジュエリーでした。
 
1850年頃、アメリカ南西部にやってきたメキシコ人の銀細工師、ファンアネアをナバホ族のアツィディ・サニが自宅に招き、銀細工を教わったのが始まりだという説があります。(諸説あるため、多く伝えられている内容を抜粋しての紹介となります。)
 
その頃、植民地拡大と渓谷の肥沃な土地を手に入れたいとして、邪魔なインディアン部族を民族浄化として、年金の配給と引き換えに指定保留地へ定住させる締結を進めていたけれど、南北戦争を理由におざなりとなり、放置状態である事にナバホは抗議の声を上げ、しばしば衝突となりました。(インディアン戦争)
 
その争いの中で1849年に、ナバホの族で尊敬を集めていた戦士であるナーボナが殺されたことにより、激しさを増します。
 
合衆国側も一度は撤退をするものの、ナバホの土地には金鉱があると睨んでいた准将が再び武力支配を目論むようになります。
 
「この戦いはお前たち(ナバホ族)が存在するか、動くのをやめるまで何年でも続行されるだろう」
 
ナバホ族の酋長たちを集め、合衆国側はこう宣言します。文字通り「降伏か、皆殺しか」の二者選択に対し、ナバホ族は白人との闘いを選んでしまいました。
 
その際、対インディアンの戦法を熟知していた大佐は、真正面から正攻法で戦うのではなく、ナバホ族の大切なトウモロコシ畑や小麦畑、果樹を焼き尽くし、馬、ラバ、羊、ヤギを奪い、強奪や殺人、放火を繰り返します。飢餓に追い込まれたナバホ族は遂に降伏してしまいます。
 
 

ロング・ウォーク・オブ・ナバホ

 
降伏後、ナバホ族はリンカーン大統領より300マイル(約483km 東京‐奈良の直線距離)離れたサムナー砦(強制収容所)へ徒歩で移動する事を命じます。
その道のりは高地沙漠地帯で、厳しい道のりでした。子供、老人、病人は次々と道中亡くなりました。
やっとの思いで辿り着いた収容先も過酷なもので、インディアンの文化知識に疎かったアメリカ側のミスで長年敵対しているアパッチ族と同じ収容所にされてしまったり、あまりにも多くのナバホ族が収容され供給不足が主要な問題となりました。
 
そこで彼らは過酷な状況の中、馬具作りや修理の仕事を強制されました。
ただ、ここで既に銀細工を習熟していたアツィディ・サニが仲間たちに技術を教え、余った材料や銀硬貨でブレスレットなどを作るようになったと言われます。
鍛冶屋が鉄を溶かして流し込むのをみて、いわゆるキャスティング技法を覚えます。
これがナバホ族のインディアンジュエリーの原点となるのでした。
 
それから約3年半の月日を過ごし、ナバホ族の酋長は合衆国の役人にこう抗議をします。
 
「頭に浮かぶのは故郷のことばかりだ。なんとか政府の力で元の地に戻らせてほしい。暑さの中、寒さの中、ひたすら働いて、すべてが無駄だった。この上何が出来るというのか。お前たちは我々にどうしろというのだ?」
 
「我々のご先祖様は自分たちの土地よりも他に住む事など考えたこともなく、これを捨てるなどあってはならない事だ。我々はここに植物を植えたが何も育たない。飼っていた動物たちはみんな死に、残ったのは麻袋だけで、昼間はそれを着て、夜はそれを被って寝ている。食べるものも何もなく、うなだれてみんなが死んでいくのを見守るだけだ。」
 
1868年6月1日
遂にアメリカ合衆国がこの強制収容の非を認め、ナバホ族が先祖伝来の土地に戻ること、ナバホ児童への義務教育・穀物種子と農作機械の支給を約束することとなったのです。アメリカ合衆国はナバホ族の強制移住という実験は完全に失敗だったと宣言をしました。
 
「自分たちの国に戻ればきっと我々は元気になるし、ナバホ族も土地も幸せになれる。黒い雨雲が沸き、トウモロコシが育つようにたくさんの雨を降らせてくれるだろう。豊かな実りは我々を幸せにするだろう。」酋長はその言葉を残し、3年後故郷で亡くなります。
 
しかし、戻った土地には既にホピ族が定住しており、お互いの土地を巡っての諍いは100年以上たった現在も解決せずにいます。
 
ひとまず故郷に戻れたナバホたちは、その後西部開拓と共に白人やメキシコ人との接触が増えていくなかで、銀細工技術を更に習得していくこととなります。
 
 
旅の途中のメキシコ人はナバホ族の目の前で銀細工を作って見せ、焚火を囲んでメキシコ人銀細工しの手元を食い入るように見つめながら技術を覚えます。
1870~1890年代に、ついに独自のインディアンジュエリーが誕生したといわれます。
この頃、アツィディ・サニの弟であるスレンダー・メーカー・オブ・シルバーか、アツィディ・チョン(どちらかは不明)が銀の指輪にターコイズをはめたとされています。
 
 
こうして、インディアンは白人経営のトレーディング・ポストに作ったジュエリーを持ち込み、食料や日用品と交換したり、メディスンマン(呪術医)が儀式や治療の際に使ったり、地位を表すための装飾品として身に着け、着々と文化の一つとなりました。

【インディアンジュエリー誕生】

 
コロンブスのアメリカ大陸到着から、長い年月をかけて虐げられてきたインディアンの中に、ナバホ族という部族がいました。彼らの悲しい歴史の中から生まれたのがインディアンジュエリーでした。
 
1850年頃、アメリカ南西部にやってきたメキシコ人の銀細工師、ファンアネアをナバホ族のアツィディ・サニが自宅に招き、銀細工を教わったのが始まりだという説があります。(諸説あるため、多く伝えられている内容を抜粋しての紹介となります。)
 
その頃、植民地拡大と渓谷の肥沃な土地を手に入れたいとして、邪魔なインディアン部族を民族浄化として、年金の配給と引き換えに指定保留地へ定住させる締結を進めていたけれど、南北戦争を理由におざなりとなり、放置状態である事にナバホは抗議の声を上げ、しばしば衝突となりました。(インディアン戦争)
 

グランドキャニオン

 
その争いの中で1849年に、ナバホの族で尊敬を集めていた戦士であるナーボナが殺されたことにより、激しさを増します。
 
合衆国側も一度は撤退をするものの、ナバホの土地には金鉱があると睨んでいた准将が再び武力支配を目論むようになります。
 
「この戦いはお前たち(ナバホ族)が存在するか、動くのをやめるまで何年でも続行されるだろう」
 
ナバホ族の酋長たちを集め、合衆国側はこう宣言します。文字通り「降伏か、皆殺しか」の二者選択に対し、ナバホ族は白人との闘いを選んでしまいました。
 
その際、対インディアンの戦法を熟知していた大佐は、真正面から正攻法で戦うのではなく、ナバホ族の大切なトウモロコシ畑や小麦畑、果樹を焼き尽くし、馬、ラバ、羊、ヤギを奪い、強奪や殺人、放火を繰り返します。飢餓に追い込まれたナバホ族は遂に降伏してしまいます。
 
 

ロング・ウォーク・オブ・ナバホ

 
降伏後、ナバホ族はリンカーン大統領より300マイル(約483km 東京‐奈良の直線距離)離れたサムナー砦(強制収容所)へ徒歩で移動する事を命じます。
その道のりは高地沙漠地帯で、厳しい道のりでした。子供、老人、病人は次々と道中亡くなりました。
やっとの思いで辿り着いた収容先も過酷なもので、インディアンの文化知識に疎かったアメリカ側のミスで長年敵対しているアパッチ族と同じ収容所にされてしまったり、あまりにも多くのナバホ族が収容され供給不足が主要な問題となりました。
 

西アメリカ

 
そこで彼らは過酷な状況の中、馬具作りや修理の仕事を強制されました。
ただ、ここで既に銀細工を習熟していたアツィディ・サニが仲間たちに技術を教え、余った材料や銀硬貨でブレスレットなどを作るようになったと言われます。
鍛冶屋が鉄を溶かして流し込むのをみて、いわゆるキャスティング技法を覚えます。
これがナバホ族のインディアンジュエリーの原点となるのでした。
 
それから約3年半の月日を過ごし、ナバホ族の酋長は合衆国の役人にこう抗議をします。
 
「頭に浮かぶのは故郷のことばかりだ。なんとか政府の力で元の地に戻らせてほしい。暑さの中、寒さの中、ひたすら働いて、すべてが無駄だった。この上何が出来るというのか。お前たちは我々にどうしろというのだ?」
 
「我々のご先祖様は自分たちの土地よりも他に住む事など考えたこともなく、これを捨てるなどあってはならない事だ。我々はここに植物を植えたが何も育たない。飼っていた動物たちはみんな死に、残ったのは麻袋だけで、昼間はそれを着て、夜はそれを被って寝ている。食べるものも何もなく、うなだれてみんなが死んでいくのを見守るだけだ。」
 
1868年6月1日
遂にアメリカ合衆国がこの強制収容の非を認め、ナバホ族が先祖伝来の土地に戻ること、ナバホ児童への義務教育・穀物種子と農作機械の支給を約束することとなったのです。アメリカ合衆国はナバホ族の強制移住という実験は完全に失敗だったと宣言をしました。
 
「自分たちの国に戻ればきっと我々は元気になるし、ナバホ族も土地も幸せになれる。黒い雨雲が沸き、トウモロコシが育つようにたくさんの雨を降らせてくれるだろう。豊かな実りは我々を幸せにするだろう。」酋長はその言葉を残し、3年後故郷で亡くなります。
 
しかし、戻った土地には既にホピ族が定住しており、お互いの土地を巡っての諍いは100年以上たった現在も解決せずにいます。
 
ひとまず故郷に戻れたナバホたちは、その後西部開拓と共に白人やメキシコ人との接触が増えていくなかで、銀細工技術を更に習得していくこととなります。

 
熔解

 
旅の途中のメキシコ人はナバホ族の目の前で銀細工を作って見せ、焚火を囲んでメキシコ人銀細工しの手元を食い入るように見つめながら技術を覚えます。
1870~1890年代に、ついに独自のインディアンジュエリーが誕生したといわれます。
この頃、アツィディ・サニの弟であるスレンダー・メーカー・オブ・シルバーか、アツィディ・チョン(どちらかは不明)が銀の指輪にターコイズをはめたとされています。
 
 
こうして、インディアンは白人経営のトレーディング・ポストに作ったジュエリーを持ち込み、食料や日用品と交換したり、メディスンマン(呪術医)が儀式や治療の際に使ったり、地位を表すための装飾品として身に着け、着々と文化の一つとなりました。


インディアンの教え

 
「白い兄弟は、文明化するためにこの地に到着したが、それまで私たちは、刑務所も持っていなかった。
なぜなら何の非行もなかったから。ドアに鍵をすることもなかったのは、泥棒がいなかったからだ。誰かが馬やテント、毛布を買う余裕がないなら、みなが分け与えた。
文明という名の所有物に重要性を感じられないほどシンプルな暮らしだった。
 
お金の種類を知らなかったから、人間の価値も富によって決定しなかった。もちろん、お互いをだますことはなかったし、書面による法律、弁護士、政治家もいなかった。
 
今になってしまうと、白い兄弟が到着する以前、我々が独自に秩序を保ってきた方法を、どう説明していいかさえ分からなくなってしまった。」  --John (Fire) Lame Deer Sioux Lakota


インディアンジュエリーのモチーフたち

モチーフからインディアン達の想いを知る。

 
インディアンジュエリーに見られるモチーフたちには、彼らの自然に対する感謝や尊敬、願い。家族や仲間たちを思う優しい心。強く生きるための教えが詰め込まれています。その意味達をまとめてみました。

サンバースト

サンバースト

サンバーストは太陽の光をモチーフにしたものです。放射上に線が伸びているのが特徴の模様。太陽はナバホ族にとって強い力と癒しの象徴で、中でも朝の日差しが最も強い力を持つと言われています。そのため朝日が差し込む東の方角からは「善き者」がやってくるとされいます。
ウォーターランニング

 ウォーターランニング

「水の流れ」がモチーフです。水の少ないホピの地では、水は命をつなぐために非常に重要なもの。水自体はそれだけでも重宝されていますが「人生のサイクル」「再生」の意味も含まれていて、古い遺跡などにも描かれています。
ライトニング・サンダークラウド

サンダークラウド

雷は恵みの雨をもたらしてくれるものとであり、、パワーとスピードの象徴でもあります。「雷に落ちた木には(※)メディスンマンしか触れてはいけない」など、自然への畏敬の象徴でもあります。平原の戦士たちはフェイスペイントでライトニングの模様を施したといいます。
トウモロコシ

コーン

トウモロコシはインディアン達の主食で命の源ともいえる大切な作物です。荒れ果てた荒野に唯一実った作物といわれ、母なる大地のからの贈り物を意味するとも云われており、儀式の際使われる最も重要な作物です。日本でよく見るような黄色い実よりも、赤やオレンジとカラフルな実が詰まっています。
スカッシュブロッサム

スカッシュブロッサム

スカッシュブロッサムはかぼちゃの花。
かぼちゃはトウモロコシやインゲン豆と共に育てるのにとても相性のいいコンパニオンプランツであり、農作物の三姉妹と呼ばれていました。豊作や子孫繁栄を象徴する花とされています。
イーグル

イーグル

インディアンの多くの部族でイーグルは父なる空からの神の使いとしてメッセージをもたらすとされています。空高く飛ぶことが出来ることから、物事を全体的に見て判断を下すことが出来ると考えられ、名声やリーダーシップを意味しています。イーグルの羽は偉大な力を持つと考えられ、落ちている羽を拾うことが出来るのは一部の許可されたものだけとされています。
フェザー

フェザー

歓迎と友情、平和を表します。インディアンは友情を深めた印として羽をプレゼントする風習があります。また、イーグルの羽を手にした時には、真実を語り、正直に自分と向き合わなければなりません。また、戦績の象徴ともされており、多く持つことが名誉でもあったようです。
オウム

オウム

よく卵を産む鳥であることと、水場の近くにねぐらを作ることから豊穣・子宝・水をもたらす取りとされています。
ウォーターバード

ウォーターバード

カモなどの水鳥の事を指します。水鳥を追うことで水源にたどり着けることから、水の在り処を教えてくれる・行くべきところを指し示してくれると考えられています。
命にとって重要な水を絶やすことの無いように守る伝説の鳥として大切な意味が込められています。
ハミングバード

ハミングバード

幸運を呼ぶハチドリは「光の世界への導き手」だったり、「メディスンマンと共に浄化する鳥」だったりと”善きもの”をもたらす鳥として多くのインディアン達の神話に登場し言い伝えられています。「親愛」「信頼」のモチーフとしてよく使われています。
ロードランナー

ロードランナー

ロードランナーはアメリカ南部に実存する「オオミチバシリ」という鳥。飛ぶことが出来ず、走って移動する。悪しきものから身を護るとされており、足跡は魔除けの模様として使われ、羽はプレイヤーフェザーという祈りの羽を作るのに用いられます。
 
コヨーテ

コヨーテ

コヨーテはその賢さから「部族を導くもの」「薬草の在り処を教えるもの」など様々な意味があり、過去や未来を見通し、癒しの力を持っていると伝えられています。知性や反面教師などの意味を持ちます。
タートル

タートル

水の少ないサウスウエストでは、亀は水の守り神であり、長寿と健康の象徴です。ズニ族の間では「死に対抗する力を持つ」としてカメのお守りを薬袋に着ける風習があったそうです。
ヘビ

ヘビ

脱皮を繰り返すことから再生・変身・進化の象徴でもあり、大地を張って進むことから忍耐力・努力の象徴とも云われています。
とかげ

トカゲ(リザード)

知性の象徴であり、地上のすべてを知る尽くす動物とされ、地上の守り神として言い伝えられてきました。
ドラゴンフライ

トンボ(ドラゴンフライ)

水辺に集まる習性から、水に導くものの象徴、また「幸せ」「スピード」「純粋さ」「変化」として大切にされてきました。
スパイダー

スパイダー

蜘蛛は赤土と自分の出す糸を混ぜ合わせて人間を作ったという伝説がホピ族で受け継がれています。そのため、創造性・独創性の意味を持ちます。
また、複雑な巣を地道にコツコツ住み上げていき成功していく姿から努力・忍耐力・知性の意味も持ちます。
バタフライ

バタフライ

美しさや幸運、生命力やエネルギー、姿を変えて成長していく姿から変化や喜びを象徴します。
バッファロー

バッファロー

大型の水牛で「平和」「感謝」「魔除け(主にバッファロースカル)」「強さ」「勇気」が意味として用いられています。神聖な動物として崇拝の対象にしている部族もあります。
ベア

ベア

パワーと癒しの象徴。パワーや強さの象徴以外にも、ズニ族では西の守護者とされ、スー族では癒しの力を持つとされるなど、守りやヒーリングのいみも数多くあります。ベアクロウ(熊の爪)を身に着けることで病気や災いのお守りにしていました。
ベアパウ

ベアパウ

クマの手・足跡はベアと同様、また吉兆を表します。動物の足跡は実りの豊かさの象徴であることから、良いことがある前兆を意味する。また、可愛らしいしぐさなどから優しさや癒しの象徴でもあります。
鹿

鹿

大地の恵み、大地の穏やかさを表す動物。

ウサギ

ラビット

目を開けたまま生まれてくることから邪眼に対する抵抗力を持つと信じられています。
強者から逃れる修正こそが恐怖を知り、それを避け、逃れることが出来る象徴。また、多産・豊かさも表します。

 
 
 
 
 
※メディスンマン=指導者・マスター 全ての存在は繋がっているというインディアン達のスピリチュアリティの原点を継承していくもの。

アロー

アローヘッド

アローは矢で、アローヘッドは矢じりのこと。そのものには「守り」の意味を持ちます。ブロークンアロー(折れた矢)は「平和」を、クロスアロー(交差した矢)は友情を示すモチーフとなります。
サンバード

 サンダーバード

伝説上の鳥。雷や風を司り、サンダーバードが羽ばたく時、風を起こし雷を呼ぶとされます。雷によってもたらされる恵みの雨というイメージから『幸福をもたらす鳥』として言い伝えられています。
サンダーバードトラック

サンダーバードトラック

 サンダーバードの足跡。幸せで明るい未来への期待を表します。
スワティカ

スワティカ

考古学では太陽を模ったものともいわれ、世界中で古代からみられるモチーフです。
ナバホ族にとって幸運のモチーフで、一説には≪ラブ・ライフ・ラック・ライト≫の4つのLを合わせたものといわれています。
ナジャ

ナジャ

ナジャは子宮をかたどっていると言われます。元々は紀元前・フェニキアの三日月をかたどったお守りがルーツといわれています。スカッシュブロッサムと組み合わせでネックレスとし、正装に取り入れられるようになり、「護符」として身に着けられるようになりました。
メディスンホイール

メディスンホイール

四方が同じ長さの十字やメディスンホイールの形は「Four Directions(フォーディレクション)」と呼ばれ、4つの方角・4つの季節、4つの世界を示しています。
春夏秋冬・東西南北・生、成長、老い、死。4つの人種など様々なキーとなる意味が含まれます。
ナクワチ

ナクワチ

ホピ族では親愛・友情・絆を表すシンプルなマーク。Cの字が向かい合った形で描かれ「手と手を繋いだ形」「2羽のハチドリが飛ぶ姿」など由来は諸説ありますが、どれも絆や幸福に繋がるものです。
マン・イン・メイズ

マン・イン・メイズ

メイズは「迷路」の意味で、ホピ族に伝わる人生の教えを表した古い意匠。Man in the maze  The symbol of life ”人生に迷って突き当たることがあっても、いつか正しい道にたどり着くことが出来る”という意味が込められているものとされています。
カチナ

カチナ

カチなとはホピ族を中心に信仰される精霊のような存在。いろいろなモチーフたちを精霊化し、その数は何百・何千とも言われます。カチナの扮装でダンスをするカチナダンスはホピ族の信仰の中で最も重要な行事だそうです。
イェイ

イェイ

ナバホ族の信仰の中で重要な役割を果たす精霊のような存在。「父なる空・母なる大地」など、世界を形作る大いなる力をグレートスピリットと呼びます。イェイは人間とグレートスピリットの仲立ちをする役割を持ち、グレートスピリットに従って風を起こしたり、雨を降らせたり、傷や病を癒したりしてくれます。
ココペリ

ココペリ

豊穣の精霊でフルートプレイヤーとも呼ばれ、背中を丸めてフルートを吹く姿が有名です。古いモチーフのため、部族によって解釈は様々ですが、冬を追い払って春をもたらし、背中から種を蒔くと言われています。
 
サンフェイス

サンフェイス

ズニ族の最も大切な太陽のカチナ(精霊)とされており、豊穣、恵、生、平和、エネルギーなどを表し、全ての命の象徴ともいえます。
コーンメイデン

コーンメイデン

トウモロコシ娘。グレートスピリットが人間にトウモロコシの種を与えた時に遣わせた精霊とされています。

 

インディアンジュエリーを自分で作ってみたい!

日本唯一のインディアンジュエリーコース設立始動!
2019年8月開講予定!
全16課題
 
予定カリキュラム
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・オリジナル刻印の作り方
・フェザー制作
・オーバーレイ技法習得
・ターコイズの石留技法
・ベゼルワーク(石枠装飾)
・ドロップ制作(粒の装飾)
・ロストワックス技法
・リポウズ技法習得(打ち出し)
 


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